第2講  環境技術としての建築

3. 場所の認識と構築物

1) 場所の発見・意味付け
ブッシュメンのキャムプ/ピグミィのキャンプ/古代ローマの建国神話


人間の建設行為の目的の一つは、場所を表示することである。通常はこれとは逆の認識が行なわれていて、人間が自然の中でその暴威から逃れるためにシェルターを造ろうとしたことが建設行為の始まりで、場所の表示はその建設行為の結果だと考えるのである(これは第1講で触れたごとく、ネオクラシシズム以来の固定観念である)。歴史的現象の「原因」を遡及的に追究してゆくことは、しばしば試みられていることではあるが、そこからは一定の蓋然性以上の結果は得られないはずであって、そこから先は思弁の領域とならざるを得ない。そのような思弁の上に築き上げられた仮説からその後の歴史の展開を合理的に説明しようとすれば、必ずや多くの重要な事実を見逃してしまうこととなろう。歴史の役割は、「原因」の追究であるよりは、むしろある歴史的事象がその後どのように展開していったかを辿ることであり、それがもたらした結果を記述することである。だから上のような言い方は、あくまでも通俗的歴史認識に対する警告としての意味合いからなされたものであり、建設行為の結果、場所が表示されたと言ったとしても、中身は同じことである。建設行為の真の目的は知りえないし、またそれを知ることが目的ではない。

そのことはともかくとしても、一方でシェルター的な目的を持たないかたちの構築(?)行為が存在することも否定できないし、またシェルターの最も原始的な形態と考えられがちな自然の洞窟が、実際にはシェルターとして用いられることが稀であったということも、人類学や考古学の成果から確かめられている。原始人類が何らかの目的で自然の洞窟を「利用」していたと見られる形跡は数多く遺されていて、少なくともネアンデルタール人たちの時代から行なわれていたことであるとされている。しかし遺跡から確認されているかぎりではそれらは埋葬場所であり、住居であった可能性を示す例は少ない。また現代人類の祖先とされるクロマニョン人の遺跡とされるフランスのドルドーニュやラスコーの洞窟、スペインのアルタミラの洞窟などは、その有名な壁画の内容からして、そこは住居であるよりは何らかの儀式(祭祀ないし呪術)のための場所であったと考えるべきである。それらは人間によって「発見された場所」なのだ。また利用しうる生産手段や生活する風土の環境条件などによって、一時的にもせよほとんど住居=シェルターを必要としない人々が現に存在する。あるいはシェルターの姿をとりつつも、実はそれ以外の目的が重要であるような構築物を造る人々もある。人類学者たちの調査からそうした興味深い事例を幾つか紹介してみよう注)1

アフリカ大陸南部カラハリ砂漠周辺の「サヴァンナ」地帯を生活圏とするブッシュメンと呼ばれる人々は、季節によって移動・変化する獣や植生を追いかける形で、絶えず移動する狩猟・採集生活をおくっている。彼らの社会は男子を首長とする血族集団で、その規模は小は5、6名から大は60名程度とばらつきがあり、また必ずしも固定した集団ではなく、絶えず出入りがある。首長は集団の中で絶対的な権威を持つ訳ではなく、その役割は水の確保や獲物の分配に関わる裁定権と野営する場所の選定だけである。野営地(werf=camp と呼ばれる)には、集団を構成する各核家族の中の女性の手によって、それぞれ家族ごとに簡単なシェルターが造られるが、これは葉の沢山ついた小枝をまとめて地面に突き立て、扇型にして上部を少し編み合わせたた風除け(現地語でscherm=風除けの意)程度のものである。この野営地の形は自然の地形によって左右されることが多く、特に一定の規則があるわけではない。首長のschermと他の一族のそれとの位置関係も定まってはいない。Werfへの入り口というのも別に定まっていない。ただ一つ規則らしいものがあるとすれば、未婚の若い男性のschermが特別に#kao (#は呑み込むような喉で発する音であるらしい)と呼ばれ、これが必ず首長のschermの東側に置かれることと、さらにその東の方に数百メートルほど離れたところにもっと若い未成年の男の子たちのキャムプ(Initiation Camp=若者宿。通常は茨などのフェンスで囲まれる)が作られること、そして首長のメイン・キャムプとこの「若者宿」との間には、そこを相互に踊りながら行き来するための道ができ、その途中に火を焚くための場所(キャムプ・ファイア)が設けられることである。ときには大きな樹木などがある場合には、その根元が首長のschermとなることが多いとも言われる。しかし乾燥した草原の中のでのことであり、そうした目立った目印などは見当たらない場合が多いはずで、いかにルーズなものとはいえ、そこにこうした形態のキャムプをつくるときには、首長はその持てる経験を総動員して場所を選ばなければならないであろう。ここでの「シェルター」は実際のところはほとんどシェルターとしての役割は果たさず、家族のよりどころを表示するサインに過ぎないようなもので、第一義的に重要なのは場所とそこにおける上のような最小限の規則による場所の性格規定なのである。

同じアフリカ、コンゴ北東部イトゥーリの森を生活圏とするピグミィ族のキャムプは、もう少し込み入った様相を持っている。ブッシュメンと同様、狩猟・採集が主な生活手段である彼らは、やはり幾つかの核家族の集まり(血縁集団とは限らない)で行動するが、ブッシュメンとは違って、集団の中にリーダーといえるようなものは存在せず、集団の成員はほぼ完全に平等である。キャムプは森の中の適当な空き地を選んで、数日からときには一月程度(獲物の獲れ具合による)滞在するが、その間にグループの中の幾つかの家族が離れていったり、あるいは別のグループが加わったりと、集団の大きさ・範囲はきわめて流動的である。キャムプの配置も必ずしも一定した規則があるわけではなく、地形の条件に左右されるが、ある種の「中心」の場所のような意識があって、おおよそそれを取り囲むように核家族のシェルター群が配置される。シェルターを造るのはブッシュメンの場合と同じく主婦の仕事で、しなやかな木の長い枝をたわめ両端を地面に突き立てたもので、お椀を伏せたような形を作り、上を木の葉などで覆った単純なものである(ピグミィの身長は成人でも1m200を超えることはないので、用いる枝の長さは3mもあれば充分である。このシェルターへの出入り口は突き立てた枝の少し広い隙間がそれに充てられるが、これの方角が重要で、集団の中で特に折り合いがよい家族のシェルターと、キャムプの「中心」を挟んで向かい合うようにつくられなければならない。もしその後に主婦同士が折り合いが悪くなったりした場合には、どちらかのシェルターの入り口は別な方向に変更される。もし決定的に仲違いをしたようなときには、その家族はシェルターを放棄し集団を離れて、別な集団に合流するのである。したがってキャムプの形態は、シェルターの形や配置も含めて、きわめて流動的で、その姿はそのときどきの集団の人間関係をそのまま表わしたようなものとなる。ここではシェルターはそれ自体の本来の機能もさることながら、集団のなかでの意思表明のための手段となっているのであり、「記号」となっているのだと言ってよい。また「中心」の役割であるが、集団の中の誰かが、この場所から発言する場合、それは全成員に向かっての発言とみなされ、成員はそれを集団全体の問題として受け留めるという約束がある。個々のシェルターの内部やその周辺での発言は、それがどれほど大声であろうとも、プライヴェートなものとして、他の家族がそれに介入することはしないのである。

更に興味深いのは、ピグミィが獲り蓄えた毛皮や薬草などを持って、近隣の農耕部族の村へ出かけ、交易を行なう際の彼らの振る舞いである。この場合、目的の村での滞在は数週間からときには一ヶ月を超える場合もあり、そこでもキャムプを設営することになるのであるが、そのときの配置形態もシェルターの形式そのものも、森の中でのそれとは全く違ったものになってしまう。この地域の農耕部族の集落は、その社会システムを反映して、首長の家を頂点にして、そこから互いに向き合った家々が集団内の序列に応じて建ち並ぶという構成をとる(同様な形式はアジアやポリネシア、ミクロネシアなどの農耕部族にも見られる)が、ピグミィは、そうした社会システムを持っていないにもかかわらず、それをそっくりと真似たコロニィを造る。またその家も、農耕部族のやり方と同じ、小枝を編んだものに土を塗りこんだ壁をそなえるしっかりとしたシェルターを真似るのである。ピグミィ族にとっては、集落や建築そのものも、社会的形態を表現するための手段であり、構築技術そのものまでも、そうした手段の一つなのである(彼らはそれに対して「プリミティヴ」ないし「高度な」というような評価を一切行なわない)。

古代ローマ神話によれば、ローマ市の建設は牝狼に育てられた双子の兄弟ロムルスRomulusとレムスRemus(トロイア戦争からのがれたアエネイスAeneisの末裔とされる)によってなされたとされるが、彼らは都市の境界を定めるために白い牡牛と牝牛に曳かせた鋤でもって溝を掘り、その内側を都市としたといわれる。その溝を掘るに際しては祈祷が行なわれ続け、それによって境界は神聖なものとなったという注)2。「宗教」が制度化される以前の社会では、「神」とはあらかじめ存在しているものではなく、人間の祈り(というよりはまじないあるいは祀り)の行為によってはじめて発現してくるものであって、むしろその祀りそのものが神であった。つまり、土地に意味を与えるのはそうした人間の祀りの行為であって、それ以前に土地に意味が備わっていたわけではない、ということである。


Douglas Fraser, Village Planning in the Primitive World, New York 1968


フュステル・ド・クーランジュ、「古代都市」(Fustel de Coulanges, La Cité Antique, Paris 1864:田辺貞之助訳、白水社、1961)、pp. 200-201.


prof.Fの
西洋建築史講義

index
§1.
建築の歴史と方法
ウィトルウィウスからヴェントゥーリまで
§2.
1.
2.
3.
1)
ブッシュメンのキャムプ/ピグミィのキャンプ/古代ローマの建国神話
2)
地母神信仰と大地の擬人化/デルフィの神域/神奈備/洞窟——地下空間(胎内のイメージ)/マルタ島の神域/アトレゥスの宝庫
3)
道祖神・塞の神/「西遊記」に見る土地神/風水/家相学/ケヴィン・リンチ/イー・フー・トゥアン
§3.
構造物としての建築(1)
§4.
構造物としての建築(2)
§5.
建築と都市
§6.
建築と絵画
§7.
建築と文学
§8.
建築と政治
§9.
宗教と建築
§10.
社会制度・文化と建築
§11.
遊びと建築
§12.
建築と建築技術者
§13.
建築とユートピア
link
ウロボロス建築抄:Prof.Fの口演録