第2講
環境技術としての建築
1.
「第二の自然」としての建築―持続性
0)
はじめに
自然への介入としての建設行為/場所のイメージ/集団的記憶
建設行為はその意図、方法の如何を問わず、自然環境への介入である。それが自然環境の「破壊」となるかあるいは「利用」・「共存」の段階にとどまるかという絶対的な判定は、人間の歴史を超えた地球ないし太陽系規模の歴史の中でしか下し得ない。おそらく「破壊」と我々が呼ぶような介入行為とは、一方では「利用」の意図からなされたものが、他方では自然からの逆襲のかたちで我々の現在の生活環境を脅かしかねない事態を招く場合を指している。だからそれはあくまでも我々の享受している人間的生活環境を基準にした判断であって、その判断は(人間的な)歴史の中で揺れ動くことを余儀なくされる。こうした「共存」と「破壊」の二律背反から逃れることができるのは、唯一、建築が「第二の自然」となったときである。¶
ここで言う「第二の自然」とは、建築が自然と「同化する」とか「調和する」といった状態(ないしは屋根に草を生やしたり自然の洞穴に似せたりする「擬態」ないし「偽装」の状態)を指しているのではない。それが自然に対してどのような姿勢で臨んでいるかを問題としているのではなくて、それを「利用」して次の建設行為を行ないうるような、あるいは安んじてそのイメージに人間生活をゆだねられるような、一つの「場」を与えてくれることを意味している。つまり我々が自然からその場所のイメージを受け取る(実際には我々が勝手にそれを作り上げているわけだが)のと同様に、建築からその場所の明確なイメージが与えられるような状態を考えたいのだ。「場所のイメージ」とは、ある時間的経過のなかで集団的な記憶として形成されるものであり、そうした記憶形成を保証するのは場所の持続性sustainabilityに他ならない。¶
それが都市の中であるか、あるいは非都市的環境においてであるかは問わない。いずれにせよ我々が建設行為を開始し得るのは、その場所について明確なイメージを形成しえたときであり、それが「自然」であろうと「人工的環境」であろうと、そのときすでにその場所は「人間的環境」として意識されている。だからここでの「自然」とは、人間的環境としての自然のことであり、歴史上のそれぞれの時点で人々の眼を通して見た「自然」を指している。建設者にとっては、当然のことだが、人間がその中に存在しないような「自然」は、問題にすることができないのである。¶