第1講  建築の歴史と方法
―ウィトルウィウスからヴェントゥーリまで―

5. 近代美術史学と「様式」

3) 図像解釈と図像学
美術とメッセージ/宗教図像とその解釈/ヴァールブルク--「神は細部に宿る」/パノフスキィ/フォション/エミール・マール


美術史家がいかに「形式」の即自的特質を強調しようとも、一方ではその形式が創りだす形態や手法は、見る者に必然的におそらくその即自的特質とは別次元の、ある種の「印象」ないしその結果としての何らかの「意味」を伝えずにはおかない。そのことが上に述べたような芸術解釈に心理学の介入を許す主たる原因となっているのであるが、一般大衆向けの美術批評の多くも、批評家自身の「印象」に基づいて、そこから作品の「意味」ないし「作家からのメッセージ」を抽出してみせることがその役割であると自認しているかに見える(いわゆる「印象批評」)。そしてここで重視されることとなるのが、そのような「意味」ないし「メッセージ」を伝える、つまりそれらを「表現」するための手法あるいは技巧(「形式」?)ということになる。これは「形式」論者が懸命に否定しようとしてきた「形式対内容」という議論のむしかえしに他ならないのだが、しかし美術が、いつの時代にあっても、あるときは政治的目的のために、またあるときは宗教的目的のために、そうした「意味」を通じて奉仕してきた事実は否定できないし、美術と社会とをつなぐ絆は、もっぱらそれらの「意味」が支えてきたのであってみれば、むしろ「形式」をそれが担う「意味」と対応させることによって、美術を解明すべきであるとする主張も成り立つ。ただしその場合の「意味」は、作家自身の言説とか印象批評や心理学的操作などによって抽出されたそれではなく、厳密な歴史的分析の中から見出されるのでなければならない。従って美術を取り巻くあらゆる歴史的状況が再び俎上にとりあげられ、美術がそれらの状況に向けて発していたメッセージを見出すことが目標となる。そのような美術研究の方法は、一般に「図像学」(イコノロジィiconology)と呼ばれる。

「イコノロジィ」の語のもととなった「イコン」iconとは、パソコンなどで用いられる「アイコン」と語源を同じくし、ギリシア語の「エイコーン」εὶκών(=figure, image)から出ている。キリスト教が広まってからは、主として典礼などの際に礼拝の対象となる「聖像」の意味で用いられてきた。初期のキリスト教では「偶像」崇拝を忌避することから、神やキリストは信者以外には意味不明なシムボル(たとえば「神」は空中に現われた手で表現され、キリストは魚、信者は羊などの姿で表わされる)で示され、そうした「判じ物」的描写の「絵解き」を行なうことが、キリスト教の教義を理解し会得させる方法となっていたのである。キリスト教会が東西に分裂した後、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)で行なわれたいわゆる「ギリシア正教」Greek Orthodoxでは、8世紀ころに偶像崇拝を認めるか否かで激しい抗争が起こり、一時期多くの聖像が破壊される事態(「イコノクラスム」iconoclasme)にまでなるが、こうした歴史的経過も手伝って、ビザンティン文化Byzantine Culture注)1やそこから派生したロシアや東欧の美術のなかでは、聖像の表現法などには極度に厳格な象徴的手法が定められることとなる。こうした聖像の象徴的表現法の研究から始まって、同様な象徴的表現(ときには抽象的な装飾図柄なども含む)一般の絵解き作業を「図像解釈」(イコノグラフィiconography)と呼び、美術史研究とは別種の分野として発展してきていた。「イコノロジィ」はこうした「イコノグラフィ」を更に拡張して、美術(のみに止まらずあらゆる文化現象)の中からそこに隠されている様々なメッセージを掘り起こそうとするとするものなのである。

ヴェルフリンとほぼ同世代のドイツの美術史家ヴァールブルクAby Warburg (1866-1929) は、そうした近代「図像学」の祖とみなされている。彼が助手のフリッツ・ザクスルFritz Saxl (1890-1948) とともにハムブルクに創設した「ヴァールブルク美術研究図書館」Die Kunstwissenschaftlich Bibliothek Warburgは、その後ロンドンに移され、やがてロンドン大学の中の「ウォーバーグ研究所」Warburg Institute として、多くの研究者を輩出することとなる。ヴァールブルクにとっては、美術のいかなる細部も必ずや何らかのメッセージと密接に結びついているものと考えられ、その意味を解き明かすために、あらゆる歴史史料が動員されることとなる。彼の口癖であったと言われる「神は細部に宿る」という言葉は、その研究手法をよく示している。ヴァールブルク門下の中でもこの図像学の方法を最も極端なかたちで突き詰めたのは、チェコ出身の美術史学者パノフスキイErwin Panofsky (1892-1968) であろう。その名声を高めることになった初期の論考「象徴形式としての透視図法注)2は、ルネサンス期に「発見」されたとされる透視図法perspective注)3が、当時においてはそれを用いることが人文主義者のマニフェストの一形態となっていたのであって、単なる「視覚の科学」であるにとどまらず、象徴的役割を担っており、それゆえ必ずしも近代的な意味でのその「科学的」処理には縛られず、ときには一種の「魔術」的意味をすら帯びていたということを、深い史料の読み込みによって明らかにしたものであった。ここではもはや対象は狭義の「図像」の範囲を超えて、「形式」そのものの意義にまで迫っており、リーグルが目指していたものを図像学的方法によって獲得してみせたということができよう。その一方、彼の晩年の著作「ゴシック建築とスコラ学注)4は、中世のキリスト教神学の中心的体系とされる「スコラ哲学」の展開とゴシック様式の発展過程とを「並行関係」として捉えようとした野心的試みであり、示唆に富むが、同時にそこには図像学的方法の射程を超えた性急な思弁的「牽強付会」の危険性も垣間見えている。ゴシックにかぎらず、建築の具体的な姿を、スコラ学のような高度な思弁的体系と直接的に結びつけるための方法は、いまだ見出されていないのである。パノフスキィとは対照的なやり方で図像学的方法を用い、着実な成果をあげているのは、フランスの美術史家エミール・マールEmil Mâle (1862-1954)である。彼のフランス中世の宗教美術に関する厖大な論考注)5は、一切の思弁を排しつつ、ひたすら緻密な対象の観察と史料的検証の積み重ねによって、中世美術の展開にまつわる生き生きとしたドラマを描き出すことに成功していた。


ビザンティンの建築とその成り立ちについては第3講、装飾については第8講で触れる。


Perspektive als symbolische Form, Hamburg 1927(翻訳各種あり)


透視図法とその歴史的意義については第8講で触れる。(it., prospettiva. 日本の美術史界では「遠近法」と訳すのが通例であるが、私はその訳語は採らない)


Gothic Architecture and Scholaticism, Latrobe, 1951(前川道郎訳、平凡社、1987)


代表的なものとして以下の2著を挙げておく。

  • L’Art religieux du XIIIe siècle en France, Paris 1902
  • L’Art religieux du XIIe siècle en France, Paris 1922

prof.Fの
西洋建築史講義

index
§1.
建築の歴史と方法
ウィトルウィウスからヴェントゥーリまで
0.
はじめに
タイプとスタイル
1.
2.
モデルによるアプローチ
「マニエラ」Maniera, 様式Style
3.
4.
5.
1)
ク」/「美術史の基礎概念」--様式の物差し/リーグルと「芸術意思」
2)
形式と内容/シュマルゾゥ――美術形式としての空間/心理学と美術/「プログラム的思考」批判/クローチェ/芸術と非芸術/ロンギ/アルガン
3)
美術とメッセージ/宗教図像とその解釈/ヴァールブルク--「神は細部に宿る」/パノフスキィ/フォション/エミール・マール
4)
「サイン」と「シムボル」/記号の物神化/記号と意味/建築における「脱構築」と意味の生成/ソシュール/ウンベルト・エーコ/「ポスト・モダニズム」と脱構築
6.
§2.
§3.
構造物としての建築(1)
§4.
構造物としての建築(2)
§5.
建築と都市
§6.
建築と絵画
§7.
建築と文学
§8.
建築と政治
§9.
宗教と建築
§10.
社会制度・文化と建築
§11.
遊びと建築
§12.
建築と建築技術者
§13.
建築とユートピア
link
ウロボロス建築抄:Prof.Fの口演録