第1講
建築の歴史と方法
―ウィトルウィウスからヴェントゥーリまで―
5.
近代美術史学と「様式」
1)
ヴェルフリン史学とその系譜
ク」/「美術史の基礎概念」--様式の物差し/リーグルと「芸術意思」
ブルクハルトの門下からでたスイス生まれの美術史学者ヴェルフリンHeinrich Wölfflin (1864-1945)は、近代美術史学の大成者とみなされているが、それは彼が、ブルクハルト譲りの美術に対する豊かで精緻な鑑識眼と、ヘーゲル的な様式史のグランド・セオリィとを結び付けようとした点にあると言えるだろう。たとえば、初期の大著「ルネサンスとバロック」注)1は、それまでルネサンス様式の堕落形式にすぎないとされていた17世紀バロックを独自の芸術的目標をそなえた独立した様式であると認め、かつその違いを弁別するための物差しとなるような概念を導入したものであり、その物差しは単にルネサンスとバロックの間の違いだけでなく、より広汎な美術の歴史全体にも適用されることとなるものであった。彼はその初版への前書きの中で次のように述べている。「この研究のテーマはルネサンスの解体である。それが意図するところはむしろ様式史への貢献であって、個別の芸術家論ではない。私の狙いとしたのは崩壊の兆候を調査することであり、またおそらくはその『狂態とカオスへの回帰』の中に、美術の営みの内幕についての洞察を与えてくれるような法則を見出すことでもあった。これこそが、白状するなら、私にとっては、美術史の真の目的とすべきものなのだ。」また第二部の「様式変遷の原因」の中では次のように言う。「様式を説明するということは、それを全般的な歴史脈絡の中に位置付けてやり、そしてそれがその時代の他の諸々の有機的存在と呼応し調和しつつ声を発する様を確認することに他ならないと言えよう。」(訳はprof.F。)¶
ヴェルフリンの後期の著作「美術史の基礎概念」注)2は、その永年の研究成果のエッセンスとも言えるもので、そこでは彼は五つの対概念を駆使して、美術に表われるあらゆる現象を図式的に説明しようとしている。「線的」と例の“malerisch”、「平行線的・平面的」と「対角線的・奥行き的」、「閉形式」(「構築的」“tektonisch”)と「開形式」(「非構築的」“untektonisch”)、「合成的」と「混成的」、「明瞭性」と「曖昧性」という組み合わせがそれで、これらはそれぞれに美術の発展段階と対応するものであるとするが、これらは美術のある時点での状態を指し示しはしても、必ずしも時系列の中で一方から他方へという定常的ヴェクトルをそなえるとは言い難いし、またそれぞれの対概念が互いに完全に独立したものでもないため、この図式で実際の美術の分析を行なおうとすると、様々な局面で破綻を見せることとなる。ヴェルフリンは、美術はその内的契機によって自律的・必然的に展開するものであって、外的な契機はその展開の速度や規模にある程度の影響を与えるかもしれないが、しかしその自律的発展の趨勢そのものを消し去ることはできないという確信をもち続けていた。しかしある段階から別の段階への移行が常に同じ順序で起こるとも限らないため、やはりそこに美術の外側にある何らかの「定数項」のごときもの(たとえば「民族性」)が介在することを認めざるを得なかったのである。ヴェルフリンのこうした壮大な学説は、多くの重大な誤りが指摘されずには済まされなかったし、あまりにも「ドイツ的」な形而上学的歴史観(ア・プリオリな周期説や超越的な歴史的必然性への確信)が時としてその美的鑑識眼をふさいでしまうこともあったが、しかしその一方で美術史という学問の自立性についての確信を深めさせ、20世紀全般を通じて大きな影響を与え続けてきたことは否定できない。¶
ヴィーンの美術史学者リーグルAlois Riegl (1858-1905) の体系注)3は、 ヴェルフリンが囚われていた周期説やそれにまつわりつく様式への主観的評価を克服し、純粋客観的な美術史を目指そうとするものであったが、様式の自律的展開の絶対的な法則を見出そうという、「全体論」的holisticな意図に貫かれていたことでは、同様であった。彼によれば、ある様式から別な様式への移行--たとえば「爛熟した」(とされる)後期ローマから初期中世の「プリミティヴ」な様式への移行、あるいは古典期ギリシア様式からヘレニズム期の様式への移り変わりなど--は、決して先行様式の「堕落」や技術的衰退、あるいは生命力の衰弱によるのではなく、「芸術意思」Kunstwollenの変化(場合によっては「発展」)の結果であるとする。この点で彼の様式観は、ゼムパー的「物質主義」とは真っ向から対立することになのであるが、その「芸術意思」なるものは、「触覚的」(haptisch oder taktisch)な世界把握と「視覚的」(optisch)な認識の両極の間にあり、歴史の中で常に前者から後者へと移行しようとし続けるという。そしてこの動きは「時代精神」と並行関係にあるものとして説明されなければならず、そこからはたとえば古代エジプトの世界観は「一元論的物質主義」であるはずだとする、現在のエジプト文化に対する我々の知識とは大きく異なる「偏見」が生み出されてしまう。ともあれ、ここでは「様式」の中に「芸術意思」を確認する際の方法が問題となるはずで、かつてのように形態的要素の相似や品質の比較による表層的な捉え方とは異なる、対象に対するある種の抽象化の操作が必要である。それは部分的ながら通時的から共時的捉え方へ(ないしは帰納的捉え方から演繹的捉え方へ)の転換を意味するもので、「様式史」の方法的体系の変質を物語るものに他ならないのだが、リーグル自身は必ずしもそのことに気づいていたようには見えない。¶
Renaissance und Barock, München 1888 (上松祐二訳「ルネサンスとバロック」、中央公論美術出版 1993. ヴェルフリンの文章は含みが多く、読解はなかなか困難である。すべてを検討してみたわけではないが、この訳書にはかなり誤訳ないし極端な意訳がある模様。英訳版としては Kathrin Simon, trad. (with introduction by Peter Murray), Renaissance and Baroque, Ithaca, N.Y. 1964 が比較的信頼できる。) ヴェルフリンがここでキィワードとして用いたのは “malerisch” という概念である。英語では “painterly” と訳されているが、これは日本語では訳しにくい(「絵画的」という訳語は、“picturesque” と紛らわしいため、私は採らない)ので、そのまま用いる方が無難である。彼はここではその内容を「壮大さ」、「重量感」、「動き」といった各側面から輪郭付けようと努めているが、のちの「美術史の基礎概念」では、これは “tektonisch” (「構築的」ないし「構成的」の意。英語では “tectonic”)という概念と対比されることによってより明確となり、ヴェルフリンが様式の特質を弁別する際の主要な概念装置となっている。なお「バロック」を独立した様式概念として扱うことは、このヴェルフリンの論文が公表されてからもしばらくの間行なわれておらず、これが学界の共通承認事項となるのは、1920年代に入ってからのことである。極端な例として、さきにふれたフレッチャーの本の場合、第18版(1975)でもまだ「バロック」は独立した項となっておらず、17、18世紀の建築はすべて「後期ルネサンス」に属するものとして扱われていた。
Kunstgeschichte Grundbegriffe, München 1915 (守屋謙二訳、岩波書店 1963:英訳 M. D. Hottinger, Priciples of Art History, New York, date unknown, translation from 7th ed.)
Stilfragen, Wien 1893(長広敏雄訳「リーグル 美術様式論」、岩崎美術社、1970)