第1講
建築の歴史と方法
―ウィトルウィウスからヴェントゥーリまで―
4.
様式史の展開
1)
古物趣味と細部様式変遷史
真贋鑑定と美術史/リヴァイヴァル/様式折衷/リックマンの英国建築様式区分/ファガスンの建築史/フレッチャーの建築史
18世紀以後の美術史において「スタイル」が重要な位置を占めることとなった最大の理由としては、美術品の真贋鑑定や時代判定の必要ということがあった。歴史学において対象とする事象の属する年代やその原因を正確に確定することが大前提であるのは言うまでもないが、美術史の場合にはそれが対象の価値評価(その芸術的価値よりも美術市場における価値!)を左右することとなりかねず、ある時代や特定の作家の「スタイル」をできるだけ厳密・詳細に規定しておくことが必要となるのである(現代の美術史学においても作品の真贋鑑定が主要な目標ないし前提の一つとなっていることに変わりはない)。¶
建築にもこの時期似たような事情があって、様々な地域の過去の建築スタイルについての正確な知識が求められるようになっていた。その事情とは、18世紀末以来、「古典主義」の権威が失墜し、それに代わって様々な過去の建築スタイルがファッション的に復活(リヴァイヴァルRevival)され、またときにはそれらがごちゃ混ぜに(折衷)されるという状況が起きていたことである。建築家や施主にとって、従来の古典様式だけでなくそれ以外の各種のスタイル変遷についての知識を身に着けることは、いかなる注文にも応じられるようにしておくために必要で、単なる教養の問題ではなく、切実な現実的課題となっていた。もとより純粋な学問的関心が全く働かなかったわけではないし、前に触れたヴィオレ・ル・デュクの場合のような修復のための研究の必要もあったが、近代の「建築史学」の始まりは主としてそのような実利的要請によるものであったと言える。そのためには、対象とする建築の本質的理解や評価を抜きに、まず徹底した表層的な観察に基づく比較・分類が行なわれる。古建築は長い間に様々な変更を蒙っている場合がほとんどで、建築物全体を綜合的に捉えることが難しいため、いきおい観察対象は建築の細部の様相ということになり、アーチの形状やくり型(moulding)の手法、あるいは微細な装飾技法などが、同一地域内でどのように変化してゆくかが詳細に検討され、そこで確認された傾向(たとえば、時代が降るにつれてアーチが先尖りになる、くり型の彫りが鈍くなる、輪郭線が複雑になる、etc.)を物差しとして、建物の建設年代や素性を鑑定しようとするわけである。¶
このような表層的建築細部様式変遷史の初期のかつ典型的な例としては、英国の建築家リックマンThomas Rickman (1776-1841) による「英国建築様式区分法試論」注)1が挙げられる。ここではいわゆるノルマン・コンクェストNorman Conquest (1066) から16世紀までの間の英国の中世建築の様式変遷が、主として開口部アーチの形状の変化、装飾的細部の輪郭曲線の変化などによって細かく弁別されている。¶
リックマンのこの論文が発表されて十数年後、英国では「ゴシック・リヴァイヴァル」Gothic Revival注)2の風潮が広まり、その際、この様式区分が重宝されてすっかり定着すると同時に、その内容が更に詳細に検討され補強されて、英国独自の様式史の体系が出来上がった。¶
1860年代に入ってゴシック・リヴァイヴァルの波が峠を越すと、今度は異国趣味や各種の様式を折衷する「折衷主義」Eclecticismの時代となる。そのため様式史の関心の対象は、英国の建築だけではなく、全ヨーロッパはもとより、東洋の建築にまで広がる。ファガスンJames Fergusson (1808-86) の「建築史」A History of Architecture, 3 vols, London 1865/67 は、ちょうどこうした要請に応えるかのように現われた。これは当時普及し始める写真を原図にした精細な木版の挿図入りで、読むもののエグゾティシズムをそそるに充分なものであった。ファガスンは植民地インドや東南アジアにも滞在したことがあり、「世界建築様式史」の体系を創り上げるという野心を抱いていたようにみえる。そしてこの野心はやがてフレッチャー父子Banister Fletcher (1833-99) & Sir. B. Fletcher (1866-1953) の「比較建築史」注)3によって現実化することとなる。この著作では、古今東西の建物が地域や様式区分ごとに(中国や日本の建築まで含まれている)詳細な図(白黒線画)によって示され、細部手法が比較可能なようにできており、建築学生や建築技術者にとってはまことに便利なハンドブックであったため、非常な人気を博し、その後幾度も版を重ね、増補がなされてきた。最新版は初期の線画図版の数が減り、代わって多くの写真図版が取り入れられ、また対象地域も全世界にまで広げられ、ヴォリュームも倍増していて、当初の編集方針とは全く別なものに生まれ変わってしまっているが、学生向けの簡便な建築史ハンドブックとしては、まだこれに代わり得るようなものは現われていない。¶
Thomas Rickman, An Attempt to Discriminate the Styles of English Architecture, from the Conquest to the Reformation; Preceeded by a sketch of the Grecian and Roman Orders, with Notices of Nearly Five Hundreds Buildings, 1817 (First published in James Smith’s The Panorama of Science and Art, 2 vols, Liverpool 1815, I, pp. 125-81)
その区分法は以下のようなものである。-- Norman Style: 1066-1154 (ヨーロッパ大陸での「ロマネスク」Romanesque に当たる。代表的な遺構としては、ダラム大聖堂Cathedral of Durham、エクシター大聖堂Cathedral of Exeter など)/Transitional Style: 1154-88(主体はロマネスクのままであるが、部分的に尖頭アーチが導入された様式。カンタベリ大聖堂内陣Choir of Cathedral of Canterbury など)/Early English Style (Lancet Style or First Pointed Style): 1189-1307 (大陸における「初期ゴシック」Early Gothic から「盛期ゴシック」High Gothic に相当。ソールズベリ大聖堂Cath.of Salsbury、リンカーン大聖堂Cath of Lincoln、ウエルズ大聖堂Cath. of Well> .など)/Decorated Style (Second Pointed Style: 1st phase, Geometrical Style; 2nd phase, Curvilinear Style): 1307-1377 (第一、第二のフェーズの区分はトレーサリィtracery [窓の複雑な組子のことを指す]の様式による。大陸の「後期ゴシック」Late Gothic に当たる。ヨーク・ミンスターYork Minster など)/Perpendicular Style: 1377-1485 (細い垂直線が強調されたスタイル。ケムブリッジのキングズ・カレッジ礼拝堂King’s College Chapel, Cambridge など)/Tudor Style: 1485-1585
年代区分が細かく1年刻みで決められているのは驚きであるが、実はこの区切りは王朝交替の時期と合わせてあるためで、政治史との対照の便利さを考慮したものであろう。日本の建築様式区分でも、奈良時代、平安時代、鎌倉、室町、桃山といった政治史的区分が用いられることが多いのと同じ現象である。フランスの場合でも「ルイ十五世様式」、「ルイ十六世様式」といった呼び方が一般に通用している。リックマンのこの様式区分法は英国では現在でもそのまま通用しており、更にこれに付け足す形で、近世以後についても、Elizabethan, Jacobean, Stuart, Commonwealth, Restoration, Queen Anne, Georgian, Regency, Victorian, Edwardian といった王朝の名称がそっくり建築様式の名称に充てられている。
1830年代から60年代にかけて英国を中心に起こり、ヨーロッパ中に広まったゴシック様式復活の運動を指す。英国の国会議事堂The Parliament Houses (1836-68) はその産物の代表的なもの。
Banister Fletcher & Sir. B. Fletcher, A History of Architecture on the Comparative Method for the Student, Craftsman, and Amateur, London 1896 (現在は第20版が出回っている。邦訳としては、やや高価であるが、飯田喜四郎・小寺武久訳「建築の歴史」、西村書店がある。)