第1講  建築の歴史と方法
―ウィトルウィウスからヴェントゥーリまで―

3. 合理主義と「様式」

2) ゼムパーとヴィオレ・ル・デュク
ゼムパーの「物質主義」/ヴィオレ・ル・デュクの「構造合理主義」/修復と復原/ショワジィ


19世紀ドイツの建築家ゼムパーGottfried Semper (1803-79) の様式論注)1は、建築のみならず造形美術全般にわたる広い領域を視野に収めた精緻なものとして、20世紀初期まで高い評価を受けてきたものである。その特徴は美術の様式(特に装飾のそれ)の発生根拠を、素材とそれに用いられる道具・技術によって説明しようとする「物質主義的」(materialistische)な観方をとることにあるとされる。それはある意味では18世紀以来の合理主義的解釈の延長上にあるものと言えるが、より具体的かつ精密になっており、20世紀における「機能主義」的論理の先駆をなすものであった注)2。たとえば、古代ギリシア建築の円柱に見られる溝彫りflutingは木材への装飾法として最も自然なものであり(古代ギリシア神殿の形はもと木造であったものを大理石で模倣したものと考えられている)、対称形や連続模様は織物技術から生まれたものだし、轆轤(ろくろ)の技術が完全な円形の造形を創り出した、というような説明である。こうしたゼムパーの教説が、近代の芸術家たちに与えた影響には測り知れないものがあるが、しかし現実の美術における手法の多様性は、素材や技術段階の制約には必ずしも縛られるものではなかったし、同一の表現形式が素材の異なる美術に現われてくる現象を説明できないこととなる。そして何よりもその理論は彼自身の建築作品によってしばしば裏切られることとなるのである。

ゼムパーとほぼ同時代に活躍していたフランスの建築家ヴィオレ・ル・デュクEugène-Emmanuel Viollet-le-Duc (1814-79)は、古建築の修復の仕事を通じて独特の理想化された合理主義的様式観を形成することにより、続く世代に大きな影響を与えることとなる。この時期ヨーロッパ各国では「民族の遺産」として古建築の保存修復事業にとりかかり始めており、ヴィオレ・ル・デュクは古い中世の城郭や聖堂などの修復工事を担当する中で、中世の建築、特にゴシック建築の研究に打ち込み、そこには古典建築とは異なる独特の合理的設計法が存在したとの確信を深め、それは現代の建築にも適用し得るものであると考えるようになる。彼がエコォル・ポリテクニィクで行った講義注)3や厖大な「中世フランス建築事典」注)4はその教説の集大成となっているが、そこにはゴシックの石積み技術や架構法の合理性、それを現代の鉄骨造に応用するアイデア、彼がゴシックの建物にあったと考える設計の際の二等辺三角形をもとにした「基準線」(“tracés regulateurs”)とその応用など、きわめて具体的かつ実践的な内容が盛り込まれている。こうした彼の思想は古建築の修復の際にもそのまま表われていて、過去の建築はその時代なりに合理的な考え方に基づいて造られているはずであり、そうした合理的方法は必ずや現代の我々にとっても有意義なものであるはずだから、対象のオリジナルな状態を可能な限り復元すること、またオリジナルな状態が不明な場合であっても、修復者がその様式を熟知しているならば、ほぼオリジナルなものと同等のものを創り出し得るはずで、古建築を単なる標本ではなく、現代に生きた建物とするためにも、様式的に首尾一貫した姿で修復しなければならない、と考えたのである。かくて彼が修復したピエルフォンの城Château de Pierrefonds (14世紀末の建設)には当初の存在が確認されない城壁や塔が付加され、ノートル・ダム・ド・パリはそのゴシック・スタイルを「完成」させるために、交叉部に尖塔が付け足された。当然のことながら彼のこうした修復のやり方は、後世になって厳しく非難されることとなるのであるが、彼以前の修復者たちは対象の様式などにはお構いなく、自分の時代の好みで修正を加えてしまっていたのであって、彼によってはじめて修復のあり方についての問題提起がなされたと言う意味で、きわめて重要であり、実際のところ我々がどこまで過去に介入し得るかという問題は、いまだ決着がついていないと言ってよいのである。


「技能と技術による美術における様式論、あるいは応用美学」Der Stil in den technischen und tektonischen Künste oder Praktische Ästhetik. Ein Handbuch für Techniker, Künstler und Kunstfreunde, Frankfurt 1860/3 : 1863, 78-9, München). ゼムパーの建築家としての生涯は波乱に富み、ドレスデンの市民蜂起への加担とそれによる追放(1849)、文学者ティークLudwig Tieck (1773-1853) との共同の劇場改革運動、音楽家リヒァルト・ヴァーグナーとの関係など、話題が多い。主要作品としては、二次にわたるドレスデンの歌劇場Dresden Staatsoperの計画(第一次1834、第二次1871-8)、ヴァーグナーのためのミュンヘン祝祭劇場計画案Münhener Festschauspielhaus(1864実現せず)、ヴィーンの美術史博物館Kunsthistorische Museumと自然史博物館Naturhistorische Museum (1872-81)、ブルグ劇場Burgtheather(1874-88)などがあるが、それらの作品の位置付け・評価は今後の研究に委ねなければならない部分が多い。またドレスデン・アカデミィ(1864-49)やチューリヒ工科大学(ETH)における教育者としての役割(1858-64)も重要である。ゼムパーの評伝としてはMartin Fröhlich, Gottfried Semper, Basel 1974がある。


フランク・ロイド・ライトに関する最初の系統的な研究書であるヒッチコックの著書の題名が “In the Nature of Materials”となっていたことからもそれが知られよう(Henry-Rusell Hitchcock, In the Nature of Materials. The Buildings of Frank Lloyd Wright, 1887-1941, New York 1942, 19732.)


Entretiens sur l’ architecture, Paris 1863/72 (飯田喜四郎訳、「建築講義」、中央公論美術出版)


Dictionnaire raisonée de l’ architecture française du XIe au XVIe siècle, 10 voll., Paris 1854-68

ヴィオレ・ル・デュクの理論に関しては N. Pevsner, Ruskin and Viollet-le-Duc. Englishness and Frenchness in the appreciation of Gothic Architecture, London 1969 (鈴木博之訳「ラスキンとヴィオレ・ル・デュク」、中央公論美術出版)参照。

ヴィオレ・ル・デュクとゼムパーの系譜を引き継ぐものとしては、オーギュスト・ショワジィAuguste Choisy (1841-1909) の建築史(Hisoire de l’architecture, Paris 1899, 2 voll.) があり、これはヴィオレ・ル・デュクの方法を受け継ぎつつもその「理想主義」を捨て、むしろゼムパーの「物質主義」を極端にまで押し進めて、純粋に構造技術の発展という見地から建築史を通観しようとしたユニークなものである。


prof.Fの
西洋建築史講義

index
§1.
建築の歴史と方法
ウィトルウィウスからヴェントゥーリまで
0.
はじめに
タイプとスタイル
1.
2.
モデルによるアプローチ
「マニエラ」Maniera, 様式Style
3.
1)
ロージェと蓋然主義的合理主義/スフロとサント・ジュヌヴィエーヴ聖堂/ロドリの原理主義
2)
ゼムパーの「物質主義」/ヴィオレ・ル・デュクの「構造合理主義」/修復と復原/ショワジィ
4.
5.
6.
§2.
§3.
構造物としての建築(1)
§4.
構造物としての建築(2)
§5.
建築と都市
§6.
建築と絵画
§7.
建築と文学
§8.
建築と政治
§9.
宗教と建築
§10.
社会制度・文化と建築
§11.
遊びと建築
§12.
建築と建築技術者
§13.
建築とユートピア
link
ウロボロス建築抄:Prof.Fの口演録